北九州の工業発展と一緒に

北九州市は日本の近代化を支えた都市です。

現在福岡県における最大都市は、県庁所在地である福岡市ですが、北九州市はかつて福岡市よりも人口が多く、福岡県から日本全体を支えていた時代がありました。 第三次産業が重視される昨今は、北九州市の地位は相対的に低下してしまいました。しかし、日本の近代化を支えた北九州の歴史はそのまま日本の近代化の歴史と連動しています。ここでは、北九州市の当時の地域に当たる旧五市の細かい違いについては扱わないこととさせていただきます。
ここでの「近代化」という言葉は主に西洋列強から近代産業の分野で負けないという意味合いです。その当時の近代産業はなによりも鉄鋼業などを中心とする第二次産業でした。その近代化の舞台に北九州市が立つきっかけになったのは、1901年に官営八幡製鉄所が誕生したことです。
官営八幡製鉄所は、第二次世界大戦前では日本の鉄鋼生産量の過半数を超える巨大な製鉄所です。この時代背景の日本で鉄鋼生産量の半分以上を支えていたということから、日本の近代化を支えたといわれています。
八幡製鉄所も度重なる戦争などと共に大きく発展していきました。第二次世界大戦前に国内の他の製鉄会社などと合同し、終戦後に民間企業の所有となっても、産業の大きな転換はなく、北九州市の経済の動力源として働き続けました。
しかし、第二次産業から第三次産業に産業が転換していくとともに、八幡製鉄所の相対的な重要度は下がり、したがって、北九州工業地帯の重要性も下がっていきました。
このような「北九州市」の歴史と共に弊社などの機械産業に携わる企業の状況も活況に沸いていた状況から徐々に変化していきました。
それでも、第二次産業がなくなることはないのと同様に、実質的な意味で北九州市もなくなることはないでしょう。北九州市が未来志向の戦略として掲げている環境都市政策などの展望もあり、弊社も、新たな方向性にも対応し、北九州の未来を創造する一助を担って参ります。